ロックなバショ

岩好きにはたまらない?町はまるで岩の博物館

東吾妻町には沢山の岩があります。岩櫃山を中心に周囲にはへそ岩、ガメラ岩などの奇岩群、仙人窟、国指定名勝の吾妻峡は紅葉の美しさで有名ですが、竜頭岩、竜尾岩などユニークな造形の岩も見所です。

 

国指定名勝 吾妻峡

 

岩櫃山

東吾妻町のシンボル。ぐんま百名山、吾妻八景の一つに数えられる。太古の火山活動によって形成された山が、風雨と川に侵食された結果、断崖だらけの山容となったようです。標高802mで、全山が輝石安山岩の奇岩・怪石に覆われ、古来から山岳信仰の対象、修験の山とされています。南面の200mにも及ぶ絶壁は見事です。
山頂から約20m下には「鷹の巣岩陰」と呼ばれる半洞窟が開口し、弥生時代初めの人骨や土器が出土し、再葬墓(いったん埋葬した遺体を白骨化してから再び壺などに入れて埋葬した墓)と判明し、「岩櫃山鷹の巣岩陰遺跡」として有名です。
岩櫃城は、岩櫃山中に築かれました。軍事戦略上の重要性から、戦国時代の戦乱に翻弄されながら機能、運営され、山頂より四方に伸びる尾根を巧みに利用し、本丸、二の丸、中城を配置した山城です。
江戸時代の文献によりますと、1614(慶長19)年に岩櫃城下の平川戸宿(現在の登山口付近から貯水池付近)に市が立ち、大いににぎわいました。この盛況を徳川家康が不審に思ったことから、岩櫃城を支城としていた沼田城主・真田信幸(信之)が翌1615年、岩櫃城の破却を始め、城下町を観音原(現在の原町地区)に移しました。
このとき、町割りの起点を岩櫃山中腹の子持岩と、原町地区の東端にある「槻の木(原町の大ケヤキ)」(国天然記念物)とを結んだ直線上としました。
山頂への登山道は4つのルートがあり、JR群馬原町駅からアクセスする平沢地区からの「沢通り」「尾根通り」、JR郷原駅から古谷地区にアクセスする「密岩通り」と「赤岩通り」があります。
沢通りは、ゴツゴツした石に覆われた、水のない沢を登るルートでビギナー向き。尾根通りは、中腹にある岩櫃城の中城や長い竪堀、二の丸、本丸を抜けて尾根を進み、沢通りに合流するルートで、岩櫃登山の王道。赤岩通りは、潜龍院から郷原城跡を抜けて尾根通り、沢通りと合流するルートで、山の正面を仰ぎ見ながら城跡の雰囲気を感じることができます。密岩通りは、密岩神社や鷹の巣岩陰遺跡といった文化財を感じつつ、スリル満点の「天狗の架け橋」もあるルートで、上級者向けです。
また、JR郷原駅付近で、国指定重要文化財「ハート形土偶」が出土しており、岩櫃山は縄文時代から人々の拠りどころとなっていたことが想像されます。

 

竜頭岩

吾妻峡十勝の一つ。道路の側面に露出し、粗い柱状節理の入った輝石安山岩の岩脈です。幅4-5m、高さ10mあまりあり、龍が天に向かって上っていくような形から、この名がついたと言われます。金網で覆われているため、気づきにくいので、見逃さないように注意して散策しましょう。

 

竜尾岩

吾妻峡十勝の一つ。龍頭岩の上流約200m、岩島地区と長野原町との境付近にあります。幅4-5mで、50mほど続く、輝石安山岩の岩脈です。下端が水際で、下流側半分が深い溝状に侵食されています。龍頭岩と同様、金網に覆われて確認しにくいです。

 

へそ岩

本宿地区の坂上中学校近くには、温川に沿った断崖に奇妙な形をした大きな岩穴があります。岩に突き出している形が「臍(へそ)」に似ていることから、「へそ岩」と呼ばれて親しまれています。穴の大きさは高さ20m、幅30m、奥行き10mもあり、中のへその部分は直径10mほどの半円球状で、穴の岩壁面から8mくらい突き出ています。
このへそ岩の右隣にある岩は、釜を伏せたような形から「釜石」と呼ばれ、中が空洞になっています。岩穴には観音像も安置されています。へそ岩周辺を含めて、全体を斜めから見ると、サルがウィンクしているようにも見えるそうです。

 

ガメラ岩(象ヶ鼻岩)

岩櫃山の東隣には、観音山(標高530m)という岩山があります。「松山」「岩鼓」「瀧峩山(りゅうがさん)」とも呼ばれ、1747(延享4)年に100基の観音石像がまつられてから、「観音山」と言われるようになった、と伝えられています。
観音山は東山、西山と呼ばれる2つのピークを持ち、東山に西国33番と坂東33番、西山に秩父34番が安置されています。山中には多数の岩窟や岩頭、石仏のほか、数カ所の金掘り穴、麓には不動滝(三重の滝)、不動尊の堂、刀鍛冶の遺跡があります。
現在は東山だけ登れます。登山道を登って行くと、見晴台を通って山頂に向かうルートと南大岩窟や東大岩窟などを経て山頂に向かうルートの分岐点があります。その分岐点の近くにある、怪獣ゴジラのライバルだったガメラのように見えたり、ゾウの鼻のようにも見える大きな岩が「象の鼻岩」「ガメラ岩」と呼ばれています。

 

仙人窟

大戸地区の鳴瀬にあります。90分ほど険しい岩肌を登り、「胎内くぐり」と呼ばれる石門をくぐって窟内に入ります。
高さ8m、幅14m、奥行き26mの洞窟の中に、江戸時代の修行僧が作ったとされます石像の十八羅漢(1678年)や聖観世音像が安置されています。
先住民族の穴居の跡ともされ、北の隅に清水が湧出しています。伝説に日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国征討の帰途に「宿泊せし處(ところ)なり」とも言われています。また、窟中には古墳が3基あり、近くの手古丸城主・大戸真楽斎にかかわるものとも伝えられています。
中世の吾妻三十三番順礼歌で、仙人窟が「夜もすがら いわやに響く法(のり)の声 誓いも深き谷川の音」と歌われていました。
冬季になると、仙人窟内には「氷筍(ひょうじゅん)」という、下から上に伸びる逆さの氷柱(つらら)が見られます(冬季行は寒さ対策、滑り止めなどの冬山装備が必要です)。 洞窟の天井から落ちた水滴が瞬時に凍りつき、上方に向かって大きくなったもので、タケノコ(筍)のような形から、「氷筍」と呼ばれています。
1586(天正14)年、真田信幸が500騎を率いて、北条綱可ら北条勢2000騎と戦った際、自らの軍を仙人窟に伏せさせ、大返しして大勝し、いったん北条氏に奪われた手古丸城を奪還したといわれています。

 

天狗岩

岩櫃山の登山ルート・尾根通りには、登山道の真ん中に堂々と突き立つ、尖塔のような不思議な岩が露出しています。これが「天狗岩」です。

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