ロックなヒト

大切なのは“いまこの瞬間に自分が何を感じてるのか”に正直になること

2022.03.24

「たとえ効率が悪くても、その場で見て感じたものを描きたい」

物静かな印象の中に、とても力強い想いを感じさせる言葉で語ってくださったのは、東吾妻出身の画家「水野暁さん」です。

水野さんが初めて絵を描いたのはなんと4歳。TVで見た浅間山の噴火を描いたのが初めての創作活動だったとのこと。

そんな水野さんには、美術の道で生きることを決めたきっかけ、またアーティストならではの苦労など「画家としてこれまでどんな道のりを歩んできたのか?」お話を伺ってきました。

4歳で初めて描いた絵

※水:水野さん、イ:インタビュアー

イ:絵を描くようになったきっかけは何だったんでしょうか?

水:小さい頃からよく絵を描いていました。その頃に描いたものの中に4歳の時に描いた水彩画が残っていて、それは江戸時代に起った浅間山の噴火の番組映像をテレビか何かで観て、幼いながらもそれにショックを受けて描いたんだと思うのですが。それが原点、と言えるかもしれませんね。

元々どちらかと言うと人が苦手っていうか、家にお客さんが来ると柱に隠れたりしていたぐらい、内気な性格だったんですよ。一人で何かするのが好きだったんですね。

イ:ショッキングな映像を観て、それを4歳ですぐに絵にするっていうのがすごいですよね。

水:もうあんまり覚えてはいないんですけどね。

5歳上の姉が小学校低学年の頃に、宿題か何かで描いていたのを傍で見ていて「僕も描きたい!」と言ったんじゃなかったかな、とおぼろげに記憶しています。

イ:そこからどういった経緯があったんですか?

水:それ以降も絵が好きでいつも何かしら描いてはいたんですけど、一方で、中学では野球部だったりもしました。当時は何かしら運動部に入らないといけなかったというのもあるのですけれど。

高校では、最初は演劇部に入っていたんですけど、後に美術部へも入部して油絵具にも触れ始めました。

確か、授業中に自画像か何かを描いていたときに、美術の先生がそれを見て「掛け持ちでいいから美術部に入れ」とスカウトしてくれたんです。それがなかったらこっち(美術)の道に進んでなかったかもしれないので、いま考えると大きなきっかけの一つだったかもしれないですね。

イ:その先生は才能を見抜いたんですね。

水:才能があるかどうかはわからないですけどね(笑)

その後、うちの両親は「一般の大学に入ったのちに、その中で何らかの形で美術関連の道もあるんじゃないか」と言っていたんですけど、僕は「どうせやるなら最初から専門的にやりたい」と言って押し切り、美大に進みました。

芸術と現実のバランス

イ:けっこう大きな決断だなと思うのですが、この道に進む上で迷ったり、悩んだりされた事はありますか?

水:今になってつくづく色々シビアな世界だなと実感していますけど、若い頃はそんなに迷いはなかったかな、と思います。「よし!自分は描いていくんだ!」という勢いもあったし、どこか、根拠のない自信みたいなものがあったのかもしれませんね。

しかし、現実的には食べていかなきゃいけないし、続けていくには発表の場を得ていく必要もあるし・・・と、色々なバランスを取っていかないといけないですから、悩むことも多いですけどね。

イ:この道で食べていくんだ!と決めたのは、いつ頃の時期でしたか?

水:学生時代からそういうイメージは持っていましたね。

大学3年生の頃から、気になるギャラリーに作品やファイルを持ち込んで見てもらうという活動を自主的にやっていましたが、もちろん最初は相手にされなくて。でもそういう試みを何年か続けていました。

大学院を出てからは、高校の教員をやっていた時期もあるんですよ。神奈川で美術教員やったりとか、予備校の講師やったりとかしながら。その後スペイン留学などを経て、30歳の時に地元に戻ってきたという感じです。

イ:芸術の道ってすごく険しい道だな…!という印象が強いのですが、決断する事に、少しの迷いもなかったんでしょうか?

水:当時は迷いはなかったですけど、選んだ道を進めば進むほど“これは一筋縄では行かないな”と痛感することになります。

例えば、何度画廊に作品を持ち込んでも返されちゃうと、結局お金にはならないわけじゃないですか。この先どうするんだろうな、という期間が何年か続いて。

でもある時、20代後半から30歳手前ぐらいですかね、関わりたかった画廊が作品をだんだん買ってくれるようになってきたんですよね。それに加えて少しずつ、大学などで教える仕事をもらえるようになり、それらを掛け持ちしながら何とかバランスを取れるようになってきて・・・と、そんな感じで少しずつ状況が整ってくるようになってきた、といったところでしょうか。

イ:これまで断り続けてきた画廊が、どういった変化で絵を買ってくれるようになったんでしょうか?

水:想像するに、最初は「どうせ学生だろう」っていう見方をされていたと思うんですね。

画廊も仕事としてシビアにやっているので、この先画家として続けていけるかもわからない学生だし、ましてや中途半端な作品は扱えないですよね。だから、持ち込みを繰り返す中で、これだったら扱ってもいいかなという、画廊側のある基準みたいなものはクリアしていったのかもしれないですね。

イ:画家として生きようと考えた場合、水野さんのような手法を取ることが一般的なんですか?

水:いや、そんなことはないです。それはもう千差万別ですよね。

例えばですが、画廊などのスペースを借りて自ら展覧会を展開して行く場合や、コンクールに出して賞を取って認知されるという画家さんもいるでしょうし、あるいは、最近では中之条ビエンナーレなどの地域芸術祭も活発になってきているので、そういう場に参加しながら活動の場を広げて行くという方もいるでしょう。

また、最近ではSNSなどの普及で自己発信できる機会も急速に増えてきているので、新たな発表の形も出てきているように感じますね。

イ:色々と選択肢のある中で、画廊に絵を持ち込むという方法を選ばれたのは何故だったんでしょう?

水:僕の学生時代は画廊自体も今ほど多くなかったですし、そんなに色々な選択肢はなかったんですね。

単に僕が他の選択肢を知らなかったというのもあったんでしょうけど、言えるとすれば、そこが好きな作家を扱っている画廊だったんですよ。それでよく見に行ったりしていて。こういう作家を扱っている所で自分も展示したいなという気持ちが大きかったんですね。

イ:なるほど! でも何度も足を運んで、そのたびに断られて…めげてしまうという事はなかったですか?

水:もちろん断られると落ち込みますけどね(苦笑)。あと、仮に30歳ぐらいまでにここで扱ってもらえないんだったらこの道は無理かもしれないな、という、ある意味、覚悟みたいな気持ちがどっかにあったんです。だからそれまでは諦めないぞみたいな。

また、尊敬するその画廊の所属作家の一人(もう亡くなってしまいましたが・・・)に、長年スペインに住んでいた日本人の方が居たんですね、その人の影響もあってスペインに留学したっていう、海外遠征のきっかけにもなっているんです。

絵を通しての繋がり

イ:では逆に、画家をやっていて良かったなぁと感じた事は何かありましたか?

水:絵を描くことを通して人と関わることが増えてきたことでしょうか。例えば屋外制作の場合、その場に行って制作しているなかで現地の人と交流が生まれたり、そういった、絵を描いていなかったらきっと関わっていなかっただろうなと感じる人との出会いも生まれるのが嬉しいですね。

もちろん作品が仕上がっていくのは充実感はありますけど、それとは別に「自分は絵を描いてていいんだ」と感じさせてくれるというか、どこか“絵を描いている自分”を認めてもらえてるっていう感覚があるのかもしれないですね。

そのお陰で自己肯定できるというか そういうところは大きいかもしれないです。

イ:芸術って時に、自分が表現しているものとは全く違う形で受け取られてしまったりとか、そういう評価に耐えられなくて潰れてしまう人も多い世界だと聞く事もあるんですが、水野さんが自己肯定感を保つために気をつけてこられた事や考え方など、何かありますか?

水:そうですね、まぁ、人それぞれ考え方も違うし色んなことを言いますからね。その中でも「あぁ確かにそうだな」って思える意見もあったりするので、それはそれで聞いたとして、でも最終的には自分をどこまで信じられるかということだと思いますけどね。

色んな人が色んなこと言う状況にさらされるなかで、必要な部分は受け止めつつ、でも“多分こっちのはずだ!”っていう直感を見失わないこと。そこがしなやかであったらいいのかなと思います。自分の感覚を信じて。

イ:あくまでも自分の持つ感覚を信じて、ということですね。

水:はい。ただ、それでもやっぱり展覧会で自分の作品を人目に晒すのは緊張するし、いつも不安はありますよね。

だけどそこで良い意見をもらったりもするので、続けるモチベーションにも繋がります。

あとは展示以外で、屋外で描いてるときなど、通りすがりの人に「良いねー!」って言ってもらったりすると嬉しくて、それもまたエネルギーに繋がりますよね。そういう意味でも、ずっと室内だけで描いてるのとはまた違って「あぁ、やっぱり絵を描いてていいんだ」っていう気持ちになれたりするので、外での制作も続けて行きたいです。

イ:外で描かれていると声を掛けられる事もありますか?

水:ありますね。たまたま通りすがった人が珍しがってという場合もありますし、また、現場に通い続けていると徐々に現地の人との距離が縮まってきて、そのうち「寒いからコーヒーどうぞ」とか、時には「この野菜を…」と差し入れしてくれたりとか、そういうコミュニケーションとかも生まれたりして、そういうのは嬉しいし本当ありがたいですよね。

また、現場で制作する場合、制作の許可や作品運搬、収納場所を借りるなど色々なサポートが必要になるので、決して一人では成り立たないんですね。幸いなことに、これまで様々な場所でそういった協力を得ながら制作に取り組んで来れたので、本当に周りの方々に支えられながら描かせてもらってるな、とつくづく感じています。

間違えることが人間の魅力

イ:いやぁすごく素敵な交流ですね。水野さんが絵を描く上で一番大切にされている事はなんですか?

水:いつか自分にも例外なく、この世界から居なくなる日が来ると思うんです。でも、だからこそいま生きてることに目を向けて「いまこの瞬間に自分が何を感じてるのか」ということを大切に、また、そこに正直になることというか。

イ:ちなみに、水野さんが今のような写実的なスタイルになったきっかけは何だったんでしょうか?

水:元々、写実的な表現が体質的に合っているというのもあると思いますが、あとは、スペインの作家の影響が強いですね。

スペインの作家の中に、アントニオ・ロペス・ガルシアという画家がいて、彼は徹底した現場主義を貫いているんです。何年も同じ場所でマドリードの街並みを描いている作品も数多く生み出しています。

一方で現在、日本においても写実的な作品を多く目にするようになりました。ただ、写実的な作風というとどうしても瞬間的な静止画のような感じというか、人間の眼で捉えたというよりは、均一的に精密と言えば良いのか、そういう方向性のものが増えている気がするんですね。もしかしたら、様々な技術が発達してきている今の世の中には、そちらの方が時代に合っているのかもしれません。

でも、僕がやりたいのはそういうものではなくて、効率は悪いかもしれないけど、その場で見るとかその場で感じたものを描くとか、もっと原初的で、人間の身体も含めた感覚で捉えたものを表現していきたいんです。つまり、自分の目の前に広がる“現実とは何か”を確かめたいんですね。

そういう意識で制作を続けていたら自然と今の、このスタイルというか、スタンスになってきた気がします。

(ご自身の杉の木を描いた作品を見せてくれながら)この枝の辺りとかを描く時に、「位置はここかな、ここかな?」って探りながら描いてることに加え、画面の大きさも相まってなかなか位置が定まらないんです。だから、間違えがたくさん重なってるという感じで。これが一枚の写真から描くなら位置も合いやすいし間違えも少なくて済むんですが、現場で実物を見ながら描くからたくさん間違えちゃう。

でもその“間違える”ってことが案外意味があると感じていて、その場で描くことで発生するある種の魅力に繋がっているというか。何度も間違いながら、それでも確かめようとして描き重ねるっていう繰り返しで絵が出来てくる。デジタルだとたとえ間違えても、あたかも何もなかったかのように綺麗に消せちゃいますよね、白紙=ゼロにできる。

一方で、例えば、人間って生きていると誰しもときには間違えたりするじゃないですか。でもそれは消すことはできないし、むしろその延長上に生き続けていくっていう、そういう人間の人生みたいなものと、この間違えながら描くということがリンクするっていうか・・・そういうところも面白いのかな、と最近は感じているところです。

イ:とても深いお話ですね。

水:(絵の部分を指しながら)この辺りの絵の具がボコボコしてるのも計画的ではないんですよね、意図せず絵の具が重なって出来ている。

上手くいかないとか間違えるとか、ある種行き当たりばったり的な、そういうことを含んでいる方が現実に近いというか、より人間っぽい感じがすると思うんですよ。これからもそういう取り組みをやって行きたいし、そこから更に表現を深めて行きたいですね。

イ:ありがとうございます。では最後に、水野さんから見た東吾妻の良さや、魅力はどんなところでしょうか?

水:僕にとっては生まれ育った場所なので、例えばスペインに居た時もそうですし、東京で仕事する時などに特に強く感じますけど、帰ってくるとホッと安心できる場所なんですね。

刺激を受けるという意味でも、色々な場所に関わっていくことは大切だと思うんですけど、拠点としてここがハブみたいな感じになっていくといいのかな、という気はしています。

帰ってくると、時々近所の畦道なんかを散歩したりするんですけど、そうすると「あ〜いいなぁ、やっぱりここが故郷だなぁ」って感じて、色々な雑念をリセットできる場所でもあり、ニュートラルな素の自分に戻れる場所でもある、僕にとってなくてはならない故郷。それが東吾妻だと思っています。

イ:お話を伺っていてものすごく感動しました。水野さん、本日はありがとうございました。

編集後記

もしかすると「芸術家」と聞いて、気難しくて怖いイメージを抱かれる方もいるかもしれませんが、水野さんからはそういった雰囲気は全く感じられず、終始穏やかにお話をして下さいました。

写実という手法であくまで現実を重視しながらも、独自の視点を通して表現されたその作品の数々はもちろん、「人間らしさを大切にしたい」という水野さんの人間的な魅力に、素人ながら強く魅きつけられました。

精力的に活動されている水野さんですが、4月からは展覧会がスタートする予定とのこと。今後のさらなるご活躍を期待しながら、私も応援させて頂きたいと思います。

「市制90周年記念 リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと」

主催:平塚市美術館
日程:2022年4月9日(土曜日)~6月5日(日曜日)※月曜休館
https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/page14_00283.html

水野 暁(みずの あきら)

1974  群馬県東吾妻町に生まれる
1998  多摩美術大学 美術学部絵画科油画専攻 卒業
2001  多摩美術大学大学院 美術研究科絵画専攻(油画)修了
2004-05 コンプルテンセ大学にて美術解剖学を研修<マドリード/スペイン>
2014-15 文化庁新進芸術家海外研修制度により1年間マドリードに滞在<マドリード/スペイン>

■主な展覧会
2014  1974年ニ生マレテ 開館40周年記念展・第1部<群馬県立近代美術館/群馬>
2017  リアルのゆくえ|髙橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの
<平塚市美術館/神奈川ほか4館巡回>
中之条ビエンナーレ2017<中之条町 町内 イサマムラ/群馬>(2009、2011も参加)
2018  水野 暁 ―リアリティの在りか<高崎市美術館/群馬>
2019  SHISEIDO WINDOW GALLERY 花の章<SHISEIDO THE STORE/東京>
など、展示多数。

■現在
武蔵野美術大学 非常勤講師<東京>
女子美術大学短期大学部 非常勤講師<東京>
群馬県を拠点に活動

※ホームページより抜粋
HP:http://akiramizuno.p1.bindsite.jp/index.html
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