ロックなヒト

「世代を超えて山の幸を握る寿司屋、町おこしへの挑戦」

山間の美しい自然に囲まれた東吾妻町にある寿司屋「さかえ鮨」は、三代にわたって受け継がれ、地元の食材と共に伝統を大切にしてきました。

この町で寿司店を営む家族は、祖父から親、そして三代目の諒真さんまで、寿司への情熱を受け継ぎ、そのスタイルを守り続けています。
しかし、彼らの挑戦は単に美味しい寿司を提供することに留まりません。

「さかえ鮨」は、地元の食材と山の幸を組み合わせた「ギンヒカリの押し寿司」を始めとして、
地域の特産品を最大限に活用し、地元の価値を高めることを目指し、挑戦し続けています。

そんな、さかえ鮨の三代目からの世代を超えた力強いメッセージを感じるインタビューです。

創業について

イ:創業はいつ頃なのでしょうか。

天:創業して61年ですね。祖父が40歳くらいの時に出来ました。
祖父は大正生まれで、戦争から帰ってきてからのことです。

イ:戦争を経験されてから開業されたのですね。

天:そうです。それに、親父が生まれたと同時に「さかえ鮨」を始めたと聞いています。

イ:なぜ、この町で始められたのでしょうか。

天:祖母が地元だったようですが、さかえ鮨を始めた理由自体は僕は知らないんですよね。
ただ、元々は祖父もいろんな所を転々としていた中で料理の仕事をしていたようです。
当時のさかえ鮨は、寿司を食べるというよりは、お酒を飲みながら語らう場所でした。
祖父はワイワイガヤガヤってタイプではなかったので、寡黙に寿司を握っていたのを覚えています。

イ:群馬原町駅の北側に移転されてからはどれくらいなのですか。

天:22年ほど前です。

イ:その時は親父さんに代替わりされていたのでしょうか?

天:いえ、祖父は亡くなるまでお店に立っていました。足を悪くしてしまってからはカウンターに立つことは少なくなりましたが、ずっと現場で働き続けていたんです。

イ:生涯現役を貫かれたんですね。格好良いです。

天:自分の作ったお店で楽しんでくれているお客さんを見るのが生き甲斐だったのかなとも思います。
今では交通量の多い通りですが、お店が出来た当時は、周りは田んぼばかりでした。

三代目を継いだ時

イ:三代目である諒真さんが継ぐと決意したのはいつ頃だったのでしょうか?

天:育った環境が寿司屋っていうのもあり「いつかは寿司屋をやるのだろうな」という気持ちがありました。
中学校や高校で進路をみんなが決めている中で、みんなは悩んでいるけど「自分は楽で良いな」と思ったこともありました。

しかし、実際に始めたら、寿司屋をやるってそんなに簡単なことじゃありませんでした。
初めて思ったのは、地元を出て、都内の寿司屋で修行した時でした。

イ:一度、地元を出ていたのですね。

天:まず言われたのは「寿司屋の息子なのに、こんなことも出来ないのか」ということでした。
「初めてなんだから…」とも思うんですけど、確かにこれまで自分がいた場所は環境は整っていましたから。
それに対して「やってきてなかった。もったいないことをした。」って思いましたし、悔しい想いでした。
でも、そこで「出来ないのは仕方ない。ここで修行するしかない。」と意識が変わりました。

イ:何年くらい勤められたのでしょうか。

天:3年ほどです。
3年目の7月に実家から「どうしても人が足りないから手伝ってほしい」と相談されました。正直、中途半端だし、まだ修行したいと思っていたので、泣く泣くでした。

イ:でも、声をかけてくれたってのは、それなりに認めてくれている証拠でもありますよね。
帰ってきてからは、それまでの経験を活かした働き方をしたのでしょうか。

天:実は、最初の1・2年はよく衝突していました。
修行に行った寿司屋と、さかえ鮨は全然お店のスタイルが違っていたので、逆に父と衝突する機会が多くありました。

イ:直接、教えてくれた人が違うので、すれ違いは出てしまいそうですよね。

天:でも、今思うと申し訳なかったなと思います。

イ:どうして、そう思ったのでしょうか。

天:やっぱり「さかえ鮨」としてのスタイルがあって、自分がそれを曲げちゃうのはどうなのかなって思うようになっていきました。
人数も少ない中で、一人がそのやり方に添えなかったら、バラバラになっちゃうじゃないですか。
でも、今は「このスタイルだから続いているんだな」って思っています。そんな、さかえ鮨のスタイルを残しながら始めたのが「ギンヒカリの押し寿司」でした。

地元食材のスタートはお付き合い

天:最初の時は、どちらかというと「使って欲しい」と言われて、お付き合いで使っていました。

イ:今では考えられないですね。いつ頃からギンヒカリを扱っていたのでしょうか。

天:僕が東京で修行している頃からだったので、10年以上は前だったと思います。

イ:そんなに前からあったのは知らなかったです…

天:その時は有名ではないですし、数も少なかったのでしょうがないですよ。
最初は「ギンヒカリのチラシ寿司」から始まりました。
それが、いつの間にか少しずつ知名度が上がっていきました。早いうちから関われていたのが、今では良かったかと思っています。

イ:僕が最近知ったのも、さかえ鮨さんの色んな努力があったからなのですね。
なぜ「押し寿司」が作られたのでしょうか。

天:押し寿司としては、全国的に知名度の高い「富山の押し寿司」のような感じで、「吾妻の押し寿司」のような存在になれたらと思って作りました。

イ:三代目としては、どのような想い入れがありましたか。

天:「ここにしかないものを。」という思いがありました。
良い食材があるのなら、それを世に広めるのは飲食店の仕事だと思っています。
そんな地元の良いものを寿司屋として発信していけたらなと思いますし、自分達に出来るのはここなのかなとも思います。

ただ、ひねくれている部分もあって、地元の食材を「美味しくない」と言われたら「美味しい」と言ってもらえるようにもしたいとも思っています。

イ:良いひねくれですね。

天:「美味しくない」って言うよりは、「あなたが知らないだけですよ」って部分を寿司を通じて伝えていこうと思います。

寿司屋として、人として

イ:「いつかは寿司屋になる」と思っていた天沼さんが、自分の人生に寿司屋としての経験が活かされていると思うのはどんな時でしょうか。

天:良いことばっかりですよ、寿司屋をやってて。
まずは、こうやって地元に根強くした繋がりがずっと続いているのが一番良いなと感じます。
親父や祖父が接客していたお客さんのお子さんやお孫さんが、お店に来てくれたりもしていて、世代を超えたお付き合いが出来るってなかなかできないことじゃないですか。

イ:確かに、実際にうちの親父も、さかえ鮨さんに通っていました。
母と一緒に迎えに行った時の記憶がありますし、こうやってインタビューしているのも繋がりを感じます。

天:寿司屋ってカウンターでお客さんと話さなきゃいけないじゃないですか。元々は引きこもっていたいタイプだったので、そこも変わりましたね。人の話も聞けるようになりましたし、自分の主張も言えるようになりました。

※ギンヒカリを始めとした魚を育てる、あづま養魚場のみなさん

面倒くさいけど大事なこと

イ:官民共同プロジェクト「おらがまちづくりプロジェクト委員会」とかもそうですけど、地元のいろんなイベントにも積極的に参加されていますよね。
飲食店の仕事って、夜は普通の人より遅いですし、時間の余裕があるわけではない。それに、土日も働かなくてはいけない。そんな中でも参加される理由はなぜですか。

天:そういうのが好きなんですよね。参加すること自体より、そこにいる人たちと一緒にいると言ったらいいのでしょうか。
その上で、お互いでカバーしながら、一人では出来ないことを成し遂げられたら良いなと思っています。
もちろん、行政の方とも、縦割りで分けるのではなく、横のイメージで繋がっていくことでの協力関係を作っていけたらなって思って役場の取り組みに参加しています。

それに、同じような考えを持っている人と働く機会があるだけで価値があると思いますし、好きですし、まだまだ求めています。
消極的な人や「面倒くさい」って言っている参加者を見ると「参加しなければければいいのに」って思うこともあります。

イ:確かに。せっかく参加しているのに、もったいないですよね。

※官民共同のプロジェクトで生まれた「デビルズタンバーガー」

天:「面倒くさい」の、その先まで見て欲しいなと思います。
僕は、その先を見ていたいし、見てみたいんですよ。
自分のことだけ考えていれば、時間も取られるし、場合によってはお金もかかるかもしれないけど、達成する上ではそれ以上の価値があると思っています。

イ:東吾妻町が大好きなんですね。

天:東吾妻町の好きなところと言えば。小さい頃とかも、野山を駆け回って遊んだりした経験もありました。
なるべく、車の通らない場所で遊ぼうとすると、いつの間にか山に近い場所で遊んでたりしました。

イ:一人トレイルランニングですね。

天:そんな中で遊ぶ風景も好きですね。誰も歩いていない、走っていない風景というか。
そこで、たまに会うおじさんとかに「この辺はイノシシ出るから気を付けろよ」とかって言われたりもしました。子供の頃は気づかなかったですが、自然っていうのは神秘的ですよね。
子供の頃はそれが当たり前だったので、今では同じ場所を歩きながら「こんな場所だったのか。」って発見も多い。
そんな驚きは、自然だけでなく、素朴な繋がりの中にもあるなと思っています。

今後の展望

イ:最後に、個人やお店としての目標はありますか。

天:さかえ鮨としては、押し寿司がもっとメジャーになって、わざわざここに買いに来るものになったらいいなと思います。

イ:ちゃんと目的にしてくれる人が多くなって欲しいということですね。

天:ただ、規模を不相応に大きくすることはないと思います。
この先、自分一人でお店を動かさなければならなくなる可能性も考えています。テイクアウトの押し寿司も売れていて、知り合いや地元の人たちが楽しく食べにきてくれるお店であれば、それが一番だなって思っています。
また、一人の町民としては、興味を持ってもらう仲間を増やしていきたいなって思います。
やっぱり、一人でできることって限られていますし。そんな繋がりを強化することで、もっと良い雰囲気を作っていきたい。

イ:素敵ですね。

天:僕は、有名な大学に行ったり、頭が良いわけでもないですが、バカなりに出来ることをしたい。
ちゃんと話をして、仲間を作っていく。そんな輪を作っていきたいですし、それが楽しいなって思っていますから。
色々と考えてしまいますが、結局は地元に貢献できたらなって思います。

地元のものを使って、地元ならではの寿司を作りたい。
それが「美味しい」って言ってもらえたら本望なので、ギンヒカリやシルクサーモンをこれからも推していこうと思っています。

情報

<住所>群馬県吾妻郡東吾妻町原町5053

<営業時間>  11:30-14:00    17:00-21:00

<定休日>   水曜日

<問い合わせ> 0279-68-2910

<ホームページ>https://sushi-restaurant-1826.business.site/

<Instagram>https://instagram.com/sakaesushi5053?igshid=MzRlODBiNWFlZA==

<X(旧Twitter)>https://twitter.com/sakaesushi5053

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