ロックなヒト

埼玉から群馬へ、堀田養鶏場が語る町の魅力

堀田養鶏場の創業から70年、埼玉から群馬の吾妻郡へと移転し、地域に根ざして成長してきた養鶏場の背後には、堀田さん自身の人生のドラマがありました。
都会から東吾妻町へと移り住み、家業を継ぐ決意をした堀田さんが、家族の絆と地域との深い関わりを通じて、どのように養鶏場を発展させてきたのか。その思いと努力が、地域の活性化とたまご作りにどう繋がっているのかをお伝えしていきます。

(堀:堀田養鶏場 イ:インタビュア)

埼玉から吾妻へ

イ:堀田さんは元々は埼玉県に住まれていたと伺ったのですが。いつ頃、東吾妻町に移住されたのでしょうか?

堀:会社としてはもう少しで70周年を迎えるところなのですが、平成初期に父が埼玉から吾妻に養鶏場を移転し
てからは単身で働いていくことになりました。
その3年後くらいに家族全員で引っ越すことになって、当時の僕は小学校6年生くらいだったと思います。

イ:埼玉から群馬の吾妻郡への引越しなら、田舎暮らしに戸惑いとかはあったのでしょうか?

堀:色々びっくりしました。駅には人が全然いないし、夜は真っ暗ですし。
それに、小学校に通うのも行きが下山で帰りが登山みたいな感じだったのを覚えています。

イ:都会から引っ越してきてからの生活の変化はすごそうですね。
子供の頃は山奥でコンビニもないし、友達の家まで距離があるのも嫌だったので、高校生の時には「この田舎か
ら出て暮らしたい」って強く思っていました。
その後は、大学に進学、東京で待望の都会暮らしをしましたが、都会で生活することで逆に田舎の良さを感じた
んですよね。やっぱり良い場所だったなって。

絶対に継がないと思っていた家業

イ:いつ頃、養鶏所を継ごうと思い始めたのでしょうか。

堀:高校生までは「絶対に継がない」と思っていました。また、親の敷いたレールには絶対に乗りたくないから反
抗もしてました。
でも、大学に送り出してもらい一人で自由にさせてもらったことで、改めて親のありがたみを感じたことがきっか
けで気持ちが変わってきました。家業も「誰かがやらなきゃ終わってしまう、じゃあ自分がやってみるか」という考えになったのが大学生の頃です。
地元の何もないと思っていた田舎も、実は良い場所だなって気付いたことも重なり、家業を継ぐのと同じく町に戻って働こうとも覚悟を決めたのです。

イ:会社を継いだのはいつ頃だったのでしょうか。

堀:家業の仕事に慣れてきて、僕が35歳になった頃。父が身体を悪くして、3ヶ月ほど入院することになりました。大手術になったのですが、父としてはタイミングでいろいろ考えていただろうし。
僕も父が入院してから「そろそろ、自分が何とかしなきゃ」と覚悟を固めていきました。
当時の父は社長として現役でしたが、外との交渉も現場のことも含めて任せてもらえている部分も多く、実質的
に会社を回している自負もあったので、迷うことなく会社を継ぐ覚悟を決めることができました。
ただ、数字は知ってても実際にどんな判断をすればいいかなど心配な部分も沢山ありました。
父が入院後に元気になって出てきた時、父として負い目があったのかもしれないけど、僕としては近くに色々聞
ける人がいてくれるってだけですごい心強かったのを覚えています。
父は会社を渡してからは、何も自分からは言わず、あまりに見かねた時に雷を落とすぐらいでした。
おそらく、相当我慢してくれていたと思います。

イ:祖父の代から大事にしてきた会社だし、絶対に口を出したくなるはず。
それを息子に何も言わずに任せるってすごいですよね。

堀:親子で継業するのは、側から見ると良く見えるかもしれないですが、当事者はそうでもないですからね。
いらないプライドばかりですし、聞くべきことも聞けない時もあるし、変にかっこつけちゃったり、それでも何とか自由にやらせてもらったのは本当に感謝だなと思ってます。

榛名山麓での美味しいたまご作り

イ:養鶏場のある場所は、なぜあの場所にされたのでしょうか。

堀:いくつか候補地はあったらしいですが、あそこの集落が一番歓迎してくれたと聞いています。
色々な場所を現地まで見に行ってみた中で、一番快く受け入れてくれたのが十二ヶ原だったそうです。
畜産の仕事っていうのは、どうしても周囲の住民から歓迎されないことも多いので、きっと嬉しかったはず。
祖父が埼玉県で始めたときは何もなかったけど、段々とベッドタウンになって、昔からそこで営業していたとして
も、住み始める人が増えていくことで周囲からの圧力もあったと思います。

イ:気をつけてる部分とか大事にしてる部分とかはどんなところでしょうか。

堀:一番は鶏のストレスですね。
鶏もストレスを感じるので出来る限りストレスをかけない環境作りを大事にしているのですが、立地的には恵ま
れているので助かっています。雪のリスクは多少ありますが、暑すぎないことが大事なので。
鶏は夏場が弱いので、今みたいに40度くらいの気温だと、調子が悪くなって玉子が小さくなったり、玉子を産ま
なくなってしまうことさえあります。
群馬県内でも、市街地だと、日中の気温がとてつもなく上がるので、市街地の養鶏場は特に大変ですよ。
でも、うちの養鶏場は高原のような位置にあるので、特に朝夕は涼しくなりますし、鶏にとっても快適です。
それに榛名山麓の井戸水を使っているから一番必要な水が当たり前に良いものなのも品質に繋がっていると
思っています。
水に関しては自分で飲んでも美味いと思うし、出荷先によって指定の餌を使わなきゃいけない場合があるので
すが、なぜかうちの方が美味いって言ってもらえたりすると、水の品質の違いがあるのを実感しますね。

イ:日本でも有数の湧水と同じ地域の水で育った鶏だからこそ、贅沢なたまごが生まれてくるわけですね。

町にある沢山の美味しいものを知ってほしい

イ:堀田さんと言えば、自分の本業だけじゃなくいろんな取り組みに参加されてるのを見かけるのですが、なぜそ
んな活動をされているのでしょうか?

堀:家業に入る時、親父から「地元の仕事は断るな」って教えてもらっていました。
なので、戻ってきて声をかけてもらった際は出来る限り参加していました。
そこで、地域の色んな人に会ったり、取り組みに参加していくうちに、自分の住んでいる町への危機感を持ちつ
つ、それでもなかなか一人では動けない。そんな同じような考えを持つ人との出会いもありました。
同じような将来像を持っているなら「一緒にやってみよう」と話し始めたのが最初でした。
根底には自分の住んでいる町を盛り上げたいって気持ちがあるのは間違いないです。おらがまちプロジェクトに参加したのもそうですし。
例えば、8月に開催したイベントも、元々は吾妻郡内の町村の人達が集まった農業組合の繋がりでしたが、東吾
妻町の人で集まってみよう!と意気投合したことがきっかけとなり、おらがまちプロジェクトで知り合った池田さんや小山さんも加わり、やっと動き出せたところかなと思っています。

イ:素敵な旗印になっているんですね。

堀:「自分たちにできることはないか」と常に考えて動いていましたが、結果的にそうなっているのかもしれません
ね。農業しか知らないから、その部分で何かできることをして、盛り上げたいと思っているだけなのですが、出来ることの限界はあったとしても「こんなに美味しいものが沢山あるよ!」っていう町の強みをまずはアピールしてきますよ。

情報

【 有限会社堀田養鶏場】
<住所> 群馬県 吾妻郡東吾妻町大字植栗2981番地
<電話番号>0279-68-4600

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MY ROCK TOWN 東吾妻