ロックなバショ

国指定名勝 吾妻峡

2018.10.30

名勝(めいしょう)吾妻峡(あがつまきょう)は、吾妻川に架かる雁ヶ沢(がんがざわ)橋(東吾妻町)から八ッ場(やんば)大橋(長野原町)までの約3.55㎞にわたる渓谷です。1935(昭和10)年12月、吾妻峡として国の名勝に指定されました。

大昔、安山岩を主とした火山岩類からなる地層を、吾妻川の川水が長い年月をかけて深く浸食してできた渓谷と考えられています。一帯には奇岩、断崖が多く、無数の瀑布、深淵が連続しています。特に、川幅わずか4m、深さ50mの深淵の「八丁暗がり」は吾妻峡を代表する景勝地です。また、弁天島、若葉台、屏風岩、龍頭岩、龍尾岩など、「吾妻峡十勝」と呼ばれる名所があります。

明治・大正期の地理学者、志賀重昂(しが・しげたか)が1912(大正元)年、当時の国民新聞紙上で「関東渓谷の秋色は、耶馬渓より優れり」「九州の耶馬渓は、所謂天下第一の絶景と称えられている。然るに予は上州吾妻川の渓谷は耶馬渓以上なりと断言する」と吾妻渓谷を絶賛しました。1947(昭和22)年発行の『上毛かるた』では、「や」の読み札で「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と表現されています。

歌人、若山牧水(1885-1928)は紀行文「静かなる旅をゆきつゝ」の中で、吾妻渓谷への思いを次のようにつづっています。

「私はどうかこの渓間の林がいつまでもいつまでもこの寂びと深みとを湛(たた)えて永久に茂つてゐて呉(く)れることを心から祈るものである。ほんとに土地の有志家といはず群馬縣(けん)の當局者(とうきょくしゃ)といはず、どうか私と同じ心でこのさう廣大(こうだい)でもない森林のために永久の愛護者となつてほしいものである」

しかし、昔から東西吾妻を遮断し、人馬の通行を拒絶してきた交通上の大難所でもありました。戦国時代の1563(永禄6)年(1563年)、武田信玄の命を受けた真田幸隆が吾妻の地侍とともに岩櫃城を攻撃する際、「吾妻川沿いに道陸神(どうろくじん)峠を越え進軍した」という伝説があります。

そんな吾妻峡の上流端付近に建設されているのが八ッ場ダムです。洪水調節、流水の正常な機能の維持、水道及び工業用水道の供給、発電を目的とした多目的ダムで、2019(平成31)年度の完成を目指しています。

国土交通省の八ッ場ダム工事事務所HPによりますと、八ッ場ダムのダムサイト建設予定地は計画当初、吾妻峡のほぼ中央部とされていました。しかし、文化庁との協議によって、文化財保護の観点から、約600m上流地点の現ダムサイト建設予定地に変更されました。この結果、小蓬莱(しょうほうらい)や鹿飛(しかとび)橋を含む「八丁暗がり(はっちょうくらがり)」と呼ばれる区間等の吾妻峡の象徴的な景観には影響なく、名勝吾妻峡の約3/4の区間は現状のまま、保全されることになりました。

鹿飛(しかとび)橋から約1㎞の探勝遊歩道は、ゆっくり歩いて片道25分の家族向きのハイキングコースです。つづら折りの狭い道をたどっていくと、そば立つ懸崖や奇石、滝など変化に富んだ見どころが続き、渓谷の美しい眺めを一望できる見晴らし台もあります。

東吾妻町は2017(平成29)年、江戸から大正期にかけ実在していた木橋「猿橋」を当時の構造をもとに人道橋として復元し、渓谷を楽しむ新たなスポットとして親しまれています。今春には駐車場と猿橋を結ぶ森内の遊歩道も整備する予定です。

吾妻峡は、両岸に生い茂るカエデやクヌギ、アカマツなどがすばらしい景観に季節ごとの彩りを添えます。特に、ミツバツツジの咲く4月中旬、新緑におおわれる5月、紅葉の美しい10月下旬~11月上旬にかけてが渓谷探勝に最高のシーズンです。

※吾妻峡十勝とは

弁 天 島:渓谷の東端にある小丘。現在は行くことができません。

若 葉 台:上流から突き出た台地。対岸の白絹の滝も美しい。

屏 風 岩:屏風のように立ち並ぶ高さ200mの6枚の岩。

布 袋 岩:高さ70m、布袋様のような形の岩。

八丁暗がり:延長約900m、渓谷中最も川幅が狭まったところ。鹿飛びと呼ばれる川幅2-3mの場所もあります。

竜 頭 岩:輝石安山岩の岩脈。

竜 尾 岩:竜頭岩上流約200mの岩脈。

紅 葉 台:渓谷の中に突き出した岩。

新 蓬 来:仙人窟と呼ばれる岩の形がおもしろい。

白糸の滝:滝見橋から見え、右岸にかかる3段に分かれた優しい滝。現在は行くことができません。

【参考資料】東吾妻町HP、国土交通省関東地方整備局八ッ場ダム工事事務所HPほか

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