2025.06.26
群馬県東吾妻町。豊かな自然と穏やかな人々が暮らすこの町で、「ミドリノヤマダ」として活動する若手農家・山田剛さんは、酪農ヘルパーとして町内外の牧場を支えながら、自らの畑でジャガイモを育てる二足のわらじを履いています。
実家の農地を活かしながら始めた野菜づくり。そこには、動物が好きだった少年時代から続く「働くこと」へのまっすぐな姿勢と、地域に根ざした暮らしへの想いがありました。
こちらの記事では、山田さんのこれまでの経験と、農業を通じて見えてきた東吾妻町の魅力、そしてこれからの夢について、柔らかな対話を通じてお届けします。
農業に興味がある若い世代へ、小さくも力強い一歩のヒントが詰まっています。
(山:山田剛さん イ:インタビュア)
イ:「これまで酪農ヘルパーをされながら、ご自身でジャガイモをメインに出荷もされていると伺っていますが、もともと農業に興味を持ったきっかけを教えていただけますか?」
山:「実は、『やりたい』と思ったことはなかったんです。でも実家が農家だったこともあり、農業高校へ進学しました。いざ学び始めてみると動物が好きだったので、酪農などの畜産に新たに興味を持ちました。」
「最初は仲のいい先輩や友人が畜産のクラスにいたから、という理由でしたが、学ぶうちに『あ、自分は動物が好きなんだな』と気づいたんです。ただ、畑についても『いずれどうにかしないといけないな』という思いはずっとありましたし、『やりたいな』と思っていました。」
イ:「なるほど。自然な流れで『やる理由』ができていったんですね。」
山:「そうですね。ちょうど、前の年くらいに空いた畑ができて、最低限の機械もあったので『じゃあ、やってみようかな』という軽い気持ちでした。」
イ:「すでにある程度の環境が整っていたんですね。」
山:「はい、その面では恵まれていましたね。」
イ:「酪農ヘルパーとして働き始めたのはいつ頃からですか?」
山:「高校卒業後に農林大学校へ進学し、少し勉強した後で1年ほど北海道の牧場で働いていました。そこが非常に厳しい環境で、雪が多く、気温はマイナス20度。さらに、休みもほとんどなかったです。」
「でも、仕事には本気で取り組まれていて、それまで『なんとなく』やっていたことの見方が変わりました。その
後、群馬に戻り、農林大学校の先生からの紹介で嘱託職員として2年間働きました。」
「その間に関東共進会や静岡の共進会にも連れて行ってもらい、学びの場としても非常に良い経験をさせてもらいました。その後、高崎の牧場で8年ほど働きました。」
イ:「ずっと畜産関係のお仕事だったんですね。」
山:「そうです。高崎では牧草作りなどの畑作業も任されていて、市内から牧場まで通っていました。やがて地元
に戻ろうと思っていた時に牧場に後継者が入り、ちょうど良いタイミングで辞めることができました。そして、以前から誘われていた酪農ヘルパーの仕事を始めました。」
「ずっと走り続けてきた感覚もあったので、『少し一休みして、次にやりたいことを探そう』という気持ちもあり
ました。酪農ヘルパーを始めて、今で7年目くらいになります。」
イ:「酪農ヘルパーとしての活動範囲はどれくらいですか?」
山:「吾妻郡内の東吾妻町・中之条町・高山村が私の担当です。嬬恋村と長野原町は別の方が担当しています。全部で12軒ほどの牧場でお世話になっています。」
イ:「12軒もですか!いろんな牧場で働くことは、貴重な経験になっていそうですね。」
山:「そうですね。特別に意識していたわけではありませんが、声をかけてもらった先に行っていたら、いつの間
にかこうなっていました。」
イ:「牧場ごとにやり方が違うと、覚えるのが大変ではなかったですか?」
山:「基本的には一緒ですよ。牛がいて、朝晩の搾乳、掃除、世話をする。ただ、オーナーによって少しずつやり
方が違うので、仕事をよく見ながら覚えていきました。合わせるのは得意だったので、特に苦には感じませんでした。」
「酪農ヘルパー自体が初めての牧場も多かったので、オーナーと相談しながら仕事内容を決めていきました。」
イ:「これまで働いていて、大変だったことはありますか?」
山:「吾妻郡って広いじゃないですか。移動に時間がかかることに慣れるのが大変でした。朝が早い仕事でもあ
るので、場所によっては時間の管理が必要で、生活リズムも揃いづらくて身体的にきつい時もありました。」
イ:「今はある程度慣れてきましたか?」
山:「はい。最初は大変でしたが、今では慣れてきて昼間の時間にジャガイモの畑を見ることもできています。給
与は出来高制なので、働いた分だけ稼げるのもよかったですね。」
「それに、休みたいときに比較的自由に休むこともできます。でも、自分の中で『ここは絶対に休まない』と決
めて働いていたので、やればやるだけやりたいという気持ちでやっていました。」
山:「音楽も好きなので、そういうアーティストの方と関わったり、何か表現してみたい気持ちはありますね。弾き語りの方と少し仲良くさせてもらっていたこともあって、自分の野菜を題材にしてロゴを作ってくれたこともありました。本当に嬉しかったです。」
イ:「それは素敵なエピソードですね。」
山:「ただ、そういった活動は、どうしても赤字になってしまうこともあります。だから、まずは利益を出して、ちゃんと続けられる形にしたいですね。」
イ:「農業と表現活動、どちらもバランスが大切ですね。」
山:「はい、農業も趣味ではなく、事業としてちゃんと成り立たせないといけませんから。今は“守備”みたいな形で
やっている農業ですが、本気で取り組むなら中途半端にならないように、しっかりとした形にしていきたいです。」
イ:「今後チャレンジしてみたい作物などはありますか?」
山:「トウモロコシを作ってみたいと思っています。ジャガイモとの相性もいいと聞いていますし、収穫後に分解さ
せると土づくりにも良いらしいんです。」
イ:「いいですね。ただ、収穫時期がかぶってしまうという課題もあるんですね。」
山:「そうなんです。サツマイモもいいと聞きますが、保存場所の問題などもあって簡単ではありません。ジャガイ
モとの兼ね合いも考えながら計画を立てていきたいですね。」
イ:「今、野菜の販売先についてはどうお考えですか?」
山:「良いものを作れなかったら失礼だと思っているので、まずは出荷できるレベルのものを基準にして、少しず
つ信頼を積み上げていきたいです。」
イ:「1年目から多くの出荷ができたと聞きましたが?」
山:「はい、意外と量は出せました。吾妻では出荷している人が少なくて、自分が2番目か3番目くらいだったと思います。特に玉ねぎや人参はまだ少ないですね。」
イ:「新たな作物へのチャレンジも視野に入っているのですね。」
山:「はい。先輩の農家の方もたくさんいるので、いろいろ学ばせてもらいながらチャレンジしたいと思っていま
す。」
イ:「最後に、東吾妻町の魅力についても少し伺いたいと思います。山田さんが、この町に暮らしていて良いなと
感じているところはどこですか?」
山:「一番は、人が温かいことですね。たとえば、高田商店のお姉さんなんて、初めて伺ったときもすごく親切にしてくださって。ジャガイモもずっと置いていただいていて、本当に助けてもらっています。」
イ:「そういった地域の方とのつながりは、農業を続けるうえでも心強いですね。」
山:「はい。この町には、そういうふうに応援してくれる人がたくさんいます。それが大きな励みになりますね。」
「それに、自然との距離感もちょうど良くて、楽なのも好きです。家の目の前が畑なので、朝起きたらすぐ見に行けますし、犬の散歩中に畑の様子をチェックすることもできます。『あ、イノシシ入ったな』とか、すぐに気づける
のもありがたいです。」
イ:「自然に囲まれていながら、生活との距離が近いというのは、暮らしやすさにもつながりそうですね。」
山:「ええ。ちょっと離れたら見逃してしまうようなことも、すぐ目に入る。だからこそ、手をかけることができるんです。」
イ:「町として、今後何かやってみたい活動などはありますか?」
山:「最近は忙しくてなかなか難しいのですが、お祭りとかイベントに野菜で参加できたらと思っています。たとえ
ば『じゃがバター』を出してみたりとか。料理はできなくても、野菜を届けることでイベントに関わることはできると思うんです。」
イ:「食べ物って、誰にとっても身近なものですし、そういう形で町とつながるのは素敵ですね。」
山:「ええ。自分は『ミドリノヤマダ』として、農家として地域に貢献しながら、『山田剛』として酪農ヘルパーとしての役割も大事にしていきたいと思っています。」
イ:「その両方の顔があるからこそ、地域に根ざした新しい形が生まれていくのかもしれませんね。今日は本当
にありがとうございました。」
山:「こちらこそ、ありがとうございました。」
【 ミドリのヤマダ】
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