ロックなコト

31.潜龍院と大天狗の二択 ③

 

潜龍院は岩櫃山のふもとにあった廃寺だ。四百年前、織田徳川連合軍に攻められて風前の灯だった武田勝頼(たけだかつより)を招くため、真田昌幸(さなだまさゆき)が三日で館を作らせたという。

今はその跡地として、石垣だけが当時を想像させる。草原に立ち見上げると、垂直に高く岩櫃の岩肌が見える。荒々しい姿が正面に立ちはだかる密岩神社からの風景とはまた異なり、潜龍院から見上げる岩櫃は、静かで荘厳だ。岩櫃山にあまりにも近く、山の神に守られている気がするからだろうか。

 

 

白地に淡い紅の梅の浴衣を着て、私は岩櫃の巨大な岩肌を見上げていた。日が西に傾くと、吹く風もいく分涼しくなる。

「何とか、天気も持ちそうだな」

町のキャラクターすいせんちゃんのTシャツ姿のお父さんが言った。あちこち駆け回るお父さんのTシャツは、すでに汗びっしょりだ。

「うん。麦茶の紙コップいくつ出す?」

十カ所設置されたエキストラ用のテントに、麦茶が入ったポットは用意済みだ。

「熱中症になると困るから、多めに出しといてくれ。ひとり、二、三杯は飲んでも平気なように。あと、桜川さんに例の物、食べてもらってくれよ」

「はあい」

段ボールに入った紙コップを取り出す。五十個ずつ包装されている紙コップを袋から出す。エキストラは二百人だから、各ポットに五十個ずつ用意する。ポット脇のかごにたっぷりと入っているアメは、熱中症予防用らしい。

「妃芽ちゃん。よく働いてくれて、助かるっすね」

お父さんの部下の佐藤さんが声をかける。三日前から準備をしている佐藤さんは、日焼けして真っ黒だ。

「こんなかわいい娘さんがいるなんて、知らなかったなあ。桜川あゆみより美人じゃないですか?」

「おい。そんなこと言うなよ。事務所の人に聞かれたら……」

佐藤さんの冗談を、お父さんが真に受けて慌てる。

「お父さん。お世辞だって事務所の人だってわかるから。親ばかですみません」

私は恐縮して頭を下げた。

「しっかりした娘さんですね。……まあ、半分は本気だけどね」

まだ若いのだろう。三郎と並んでも、見た目はそんなにかわらない年に見える佐藤さんは、ニッと笑いながらアメを口に入れた。

「ありがとうございます」

私は笑みを返した。恥ずかしがったり、おどおどしたりしないで堂々としている方が、本気にしていない感が出る。

山の木々が笑うように揺れた。私は思わず、岩櫃の山肌を見上げた。

「風が出て来たなあ」

お父さんも心配そうにそう言って、額の汗をタオルで拭う。

「アメの包み紙、風に飛ばされないように、必ず回収しとけよ」

「はい。涼しいのはいいけど、撮影の時は止まって欲しいなあ」

仕事モードの顔になった佐藤さんが振り返った先には、急きょ組み立てた足場とクレーンがある。黒く塗られた足場は、夜になったら姿を消すだろう。その足場のてっぺんからさらにクレーンで吊って、岩櫃の頂上から天女が舞い降りるような演出をする。

桜川あゆみは演技派の女優を目指していて、スタントも体をはっていると、お父さんが話していた。

十数メートルはあるだろうその高さを見て、私はため息が出た。

「妃芽ちゃん。そろそろお願いします」

奥のテントの方から声が聞こえた。事務所が連れてきたメイクさんだ。

「はあい!」

スタッフ用の紙コップを持って、私は走り出した。最初は慣れなかった黒地に赤い鼻緒の下駄も、親指と人差し指の間に絆創膏を貼ったのでだいぶ楽になった。

一番奥にあるテントの中では、桜川あゆみが白地に梅の浴衣を着ていた。私と同じ衣装を着ると、似ていると言われるのもわかる気がする。髪の毛の色も質感も、背格好も同じくらいだ。

違うのは、猫のように印象的な釣り目気味の目尻と、下唇がぽてっとした口元。単なる美人というだけでない、ミステリアスな雰囲気が漂う。

「じゃあ、こっちに座って」

メイクさんに促されるまま鏡の前に座る。手早くファンデーションを叩き、目元にきっちりとアイメイクを入れた。同色の赤い紅を下唇に多めに塗る。

「おお! 似せメイクすると本当に双子みたいだね!」

メイクさんが、並んだふたりを見て満足げな声をあげた。

「浴衣が着崩れてはないね。誰かに直してもらったの?」

桜川あゆみが、私の姿を上から下まで見て言った。

「いいえ?」

用意された浴衣を美容室で着せてもらって、途中で桜川あゆみと合流した。彼女は、黒いTシャツにジーンズ、黒いキャップで、他のスタッフに溶け込む服装だった。

「着物、着慣れている人?」

「……そうでもないです」

「ふうん。それにしては、所作がきれいね」

芸能人にものめずらしそうな視線で見られ、私はなんだか落ち着かなかった。

そう言えば、山道を結構歩いたり、他のスタッフさんたちに交じって準備に走り回ったりした。けれど、浴衣が着崩れるって感じはなかった。江戸時代を生きた記憶がまだ生々しく残っているからかもしれない。

「じゃあ、そろそろエキストラの人が集まる時間だから。うろうろしないようにね」

メイクさんがそう言ってテントを後にする。

「ええと、何か飲みますか?」

ふたりきりになって少し緊張した私は、そう声をかけた。

「アイスコーヒー……、あ、やっぱり、麦茶ある?」

「はい」

桜川あゆみは、鏡の前の椅子に腰かけた。バックからスマホを取り出す。

こっちを見られているより、画面に集中してもらった方が、話しかける必要がなくてありがたい。彼女の前に麦茶を置くと、離れた椅子に腰かける。

鳥の羽音が聞こえた。テントが風でバタバタと揺れる。上空はもっと風が強まるのではないだろうか。

「変なコト頼んで、ごめんなさいね」

桜川あゆみが、スマホに視線を落としたまま言った。

「……影武者ですか?」

変なコトを具体的に問い返すと、冷たそうな表情が消えふふふっと笑う。

ここまで来るまでに、道沿いの住人に会った。隣にいる黒いスタッフと同じ服装の桜川あゆみではなく、浴衣姿の私に視線をよこした。そういう意味では、影武者の役目は果たしたと言えよう。

「芸能界に関心はないの? あなたみたいに、私に全然興味なさそうな人って久しぶりに会ったわ」

「……ごめんなさい」

もっと芸能人に会った感動を表した方がよかったかしら。こっちはボランティアとは言え、スタッフのひとりとして参加していると思っていたから、そういうのも悪いような気もしたし……。

私の困った顔を見て、赤い唇がやわらかく笑みを作る。

「ううん。そういう反応って新鮮。私に似ていて、口の堅い同世代の女の子を付き人に欲しいなんてわがまま言っちゃったけど、本当にいるところにはいるのねえ」

「たまたまなんです。お父さんがスタッフだから。私、友達も少ないし、スマホも使いこなせないから、丁度いいって話になって……」

「ふうん」

「あ、お腹が空いていたら、夕ご飯代わりにこれ、どうぞ」

女優さんにまじまじと見つめられて居心地の悪くなった私は、お父さんから預かったハンバーガーを差し出した。パッケージに、ベロンと舌を出したアッカンベーをしたようなハンバーガーの絵が描かれている。

「デビルズタンバーガー?」

「ええ。一応この町の名物っていうか。売り出し中のハンバーガーなんです」

「デビルズタンって、悪魔の舌?」

桜川あゆみの細い右の眉だけがピクリと動く。

「直訳するとそうですけど、コンニャクっていう意味があるんですよ。コンニャクが入っていてヘルシーなんです」

お父さんたちが一生懸命売り出そうとしているバーガーの説明に、自然と熱が入った。

「へえ。怖そうな名前なのに、優しいのね。……あの山みたいね」

桜川あゆみが、そう言って岩櫃の岩肌を眺める。岩壁の真下にいるこのテントには、風が遮られ、不思議と守られている気がした。

「ねえ、好きな人っている?」

「います」

視線を合わすことなくたずねられた問いに、思わず答えた。たぶん二度と会うことのない人だ。

「連絡とか、どのくらいでくれる?」

「あ……、その人、スマホとか持っていないんで、全然……」

「イマドキ、そんな人いるんだ」

「滅多に会えないし、連絡ももらえないんですけど……。でも、ちゃんといつも私を気にしてくれて、見守ってくれているってわかるから、寂しくはないんです」

少し照れながら私は言った。三郎のことを、こんな風に誰かに聞いてもらえる。それだけで心が満たされる。

「……」

驚いたようにこっちを見た桜川あゆみの目から、一筋涙がこぼれた。

「ど、どうしたんですか? 私何か……」

いけないことを言っただろうか。慌てて駆けよった私に、彼女は口元に手をあてて、首を振った。

「ごめんなさい。……私も同じことを思っていたの。女優としての私をずっと見ていてくれるって言われて……。それなのに、ちょっと連絡がこないだけで、不安になって……」

だめね、とひとり言のように彼女は続けた。

ハンカチをそっと渡すと、涙目のまぶたの下にそっとあてる。その横顔が、透けるように白い。うっと、ハンカチで口を押えた。

「具合が悪いんですか? 誰か呼んできましょうか」

そう言って立ち上がろうとした私の手を、彼女がつかんだ。

「……だめ。大丈夫だから……」

真剣な目をして、私を引き止めた。

「……たぶん、赤ちゃんがいるの」

そう言ってそっとお腹に手を当てる。帯の辺りを思わず凝視した。まだ、少しもそんな風に見えない。

「……相手の方は、知っているんですか?」

私の問いに、彼女は首を横に振った。

「迷惑をかけたくなくて……。まだ、誰にも知られたくないの」

自分自身に言い聞かせるようなつぶやきだった。

『桜川あゆみって、年上の映画監督とつき合っているらしいよ』

美紅の言葉を思い出した私は、思わず彼女の手を取った。

「辛かったですね。誰にも言えなくて……」

二度と会うことはない私にだから、つい本当のことを口にしたのだろう。細い体で、ひとりきりで耐えるには重すぎる。

ぽろりと涙があふれ、彼女が目を閉じる。

「でも、そんな身体で……」

エキストラが集まり出したのだろう。がやがやとした人の声が聞こえる。

時折、風が木々を揺らす。太陽が西に傾き、夜の闇が深くなる。

あんな撮影なんてできるのだろうか。岩櫃の山頂から天女が舞い降りるのを、群衆が見上げる。舞い降りた天女が『四百年の間、あなたが来るのを待っていた。これからも、ずっと、あなたを待っている』とセリフを言う。

四百年前にここを訪れることなく滅びた武田勝頼と、未来にこの地を訪れるだろう観光客を、岩櫃に住む天女が待っていると意図したセリフ。新しいお茶のコマーシャルと、この町のPRを兼ねた撮影だった。

高く組み上げられた足場。さらにクレーンで吊り上げられる。妊娠したばかりの身体で耐えられるのだろうか。

 

 

 

「マイロックタウン ~天狗と私の千年の恋」

文:加部鈴子 絵:祐

■令和4年6月3日掲載スタート! 毎週 火・金曜日更新!!

 

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