ロックなコト

29.潜龍院と大天狗の二択 ①

長い映画を見た後のようだった。

私は社の入口に腰かけながら、ぼんやりと赤い月を見ていた。家を出た時より月はだいぶ傾いていた。

どのくらいの時間が過ぎたのかわからない。人気のない小道の脇で、周辺の家の明かりももう点いていなかった。石碑の脇にある外灯だけが、暗い夜道を照らしている。

自転車に乗った男の人が通りすぎた。一瞬こっちを見てスピードを落としたけれど、止まることなく走り去った。

「こんな時間に若い娘がひとりで外にいるのは、感心しないで」

いつからいたのか、隣に三郎が座っていた。

「……お父さんみたい」

そう言うと、三郎は苦笑したらしかった。

いつも見守ってくれていて、危険が及ぶ前にそっと助けてくれる。三郎は父のような存在だったのかもしれない。

「……あの岩、何か言っていたか」

社の中を気にしながら、三郎がたずねた。

「うん。お国さんの思いを教えてくれたの」

「そうか。……あの岩をここまで運ぶって言い出した時には、驚いたもんや。あの辺りを宅地にするから、割ってどかそうって話があってなあ」

「お国さんは、思い出が詰まった岩をなくしたくなかったのよ。お国さんの思いを、後に生まれる誰かに伝えたかったのかもしれない」

誰かとは、私のことだ。私に伝えるために、お国さんはこの岩を社の中に大切にしまった。卓堂先生に先立たれてからの話だ。

「すてきな人だった。物怖じしないで困難に立ち向かって……」

「まったく、あの人には参ったわ。危ない橋を自ら渡りに行くんやもんなあ」

三郎の口調がおかしくて、私はくすりと笑った。

「国定忠治(くにさだちゅうじ)の処刑には立ち会うし、維新の時には小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)を襲った暴徒から町を守るために、率先して自衛団を作るなんて言い出して……。それから……」

指折り数えながら、三郎が文句を言う。

大戸の関所破りをした国定忠治の処刑には、多くのならず者たちが忠治を取り戻しに来るのではないかと厳戒体勢でのぞんだ。卓堂の門弟に大戸の関所番人や加部安の縁者がいたことから、お国は自ら乗り込んで行った。

明治になる直前には、幕府の勘定奉行を務めた小栗上野介を狙って、多くの暴徒が押し寄せた。小栗上野介に敗れた暴徒の一部が、隠遁していた権田村から吾妻地方に押し寄せる噂があり、お国は卓堂の門弟たちを中心に自衛団を作らせて町を守った。

「お国さんは、自分が危ない目にあっても、三郎が助けてくれると信じていたのよ。だから、自ら危険を省みず町の人々を守ろうとしたの」

「……本当に、あの人にはハラハラさせられたもんや」

三郎は文句を言いながらも、なつかしそうに頬をゆるめた。

お国は三郎を信じていた。三郎がいつも見守ってくれていると信じて、困難に立ち向かった。勉強家の正太郎と、おしゃべりな加代と、卓堂の門下生たちと一緒に、幕末明治のこの町の危機を救うために奔走した。明治になり、この町に群馬県内三番目に早く小学校ができたのは、朝陽堂の山口六平ら卓堂の門下生たちの活躍があったからだ。

外灯に群がる虫が光に当たり、ジジジっと音を立てた。

「お国さんみたいな生き方がうらやましかった。言いたいことが言えて、行動力があって……。咲さんもひとりで生きていけるくらい強くて、かっこよかった。それに比べて私は……」

自分に自信がなくて、友達もいない。私があの人たちの生まれ変わりなんて信じられない。顔は似ているかもしれないけど、こんな私で三郎はがっかりしたのではないか。

「今は昔と違って、異質な者の生きづらい時代かもしれんなあ。わしみたいなはみ出し者は肩身が狭いわ。昔は訳あり者にも優しかったし、居場所もあったもんやが……」

蒸していた夏の夜に、優しい風が吹いた。気の早い虫が、リリリとか細く鳴く。

「戦も飢饉もなく、豊かで平和や。それやのに、なんや窮屈な時代やなあ。あんたぁは、こんな時代には力が強すぎたんやろう。ずい分と辛い思いをしたな」

三郎の言葉が、胸に染みる。

「こんな力、ない方がよかったのに……」

「そやろか。わしは感謝しとる」

泣きごとを言った私に、三郎が笑いかけた。

「え?」

「前世の記憶を思い出すほど、力の強いもんは、今までおらんかった。こんな風に昔話ができるなんて思ってもみんかったわ。何も言わずに別れた後悔も、助けてやれんかった贖罪も、なつかしい思い出話も……。みんな聞いてもらえて、救われたわ」

「救われた?」

「ああ。わしの魂を救うために、あんたぁは生まれてきたんかもしれん」

じんわりと三郎の言葉が体中に浸透していく。三郎のその言葉によって、私の魂も救われたのかもしれない。こんな私でも、生まれてきてよかったのだと。

「三郎。私のことも、ずっと見守っていてくれる?」

肌に触れるか触れないかのところに座っている三郎の肩に、私はそっと頭を傾けた。

「ああ」

「私に何かあれば、助けてくれる?」

「ああ。必ず助けに行く。約束や……」

リリリと気の早い虫の澄んだ音色が、心をなぐさめる。

「ひめ。あんたぁも幸せになれや」

三郎が私の頭に頬を寄せた。

「うん」

頭の上に響く三郎の低い声が心地よくて、目を閉じた。

「戦も飢饉もない、豊かで平和な時代か……。生まれ変わってくるんはいつも、この町の危機やっていうのに、なんであんたぁは、こんな時代に生まれてきたんやろうな」

三郎の歌うようなささやき声が遠くで聞こえた気がした。

 

 

スパイシーなカレー粉の匂いと、少し甘いケチャップの香りが混ざる。町の広報の最終ページに載っている「おすすめ健康料理レシピ」のごろごろ野菜とこんにゃくのドライカレーに初挑戦だ。

こんにゃくも入っていてヘルシーだし、ヒロさんからもらった夏野菜を一口大に切ってこれでもかと投入できる。

コトコトといい音とともに、食欲を誘う香りがリビングいっぱいに広がる。

 

 

「あ、見て、妃芽ちゃん! 桜川あゆみ!」

テレビを見ていた美紅が指さす先には、制服姿で笑う髪の毛の長い女の子。最近よく見る保険のコマーシャルだ。

「この人、ちょっと妃芽ちゃんに似ているよねえ」

「え? そう?」

よく見ようとするが、画面は既にビールのコマーシャルに移ってしまっている。

「髪型だけだろう? そんなに似てないよ」

涼くんがそっけなく言った。

「そうかなあ。雰囲気とか髪型とか、横顔も似ているけどなあ」

「ありがとう、美紅。でも、よそでは言わないでね。……ファンの人に怒られそう」

ダイニングテーブルに冷たい麦茶を運びながら、私は言った。

「桜川あゆみって、年上の映画監督とつき合っているらしいよ。八歳差なんだって!」

「……そういう情報どっから仕入れるの?」

「普通にテレビとかネットのニュース見ていれば入ってくるよ。年上好きなところも妃芽ちゃんと一緒だなぁって思って~」

麦茶を口に含んだ涼くんが、ブッと吹き出した。

「いやだぁ、汚い~。冗談よ! 涼くんは、すぐ本気にするんだから~。そういうトコ、子どもよねえ~」

美紅が台ふきを持ってテーブルを拭く。

「美紅。あんまり涼くんをからかわないでよ。機嫌悪くなるんだから……」

台ふきを洗いに来た美紅に、私はそっと忠告する。もしかしたら、美紅の好きな人は涼くんなんじゃないかって思う。そうだとしたら美紅もかなり素直じゃない。

「いいじゃん、別に。涼くん、わかりやすいんだもん。それよりも……」

美紅はそう言って、私のすぐそばに来て耳打ちした。

「妃芽ちゃん、昨夜どこに行っていたの?」

「え……?」

「朝、靴が玄関に出ていたよ。夕方、靴箱にしまってあったじゃん? 私が寝た後で、どこかに行ったんでしょう? 彼に会いに行ったんじゃないの?」

「……」

何て目ざとい……。口達者なところといい、要領よく立ち回る噂好きなところといい、誰かに似ている。

「違います! ちょっとのどが渇いたから、自販機にジュースを買いに行っただけ。冷蔵庫に何もなかったから……」

「ふうん。麦茶もリンゴジュースもカルピスも、冷蔵庫にあったけどねえ~」

「……炭酸が飲みたかったの」

「へえ~。めずらしい」

「……」

ダメだ。ごまかそうとしても見通しらしい。

「大丈夫よ。お父さんにも涼くんにも、内緒にしてあげるから~」

ニヤリと美紅が笑って、自分の分のカレー皿を食卓に運んでいく。

「……」

昨夜、三郎と一緒にいたのは確かだ。でも、いつの間にかベッドで寝ていた。いつもより遅く起きた朝、すべては夢だったのかとも思った。長い長い夢を見ていたとも……。

けれど、玄関にそろえてあった靴を見て、私も夢でなかったことを知ったのだ。

三郎と昔話をして、心を通わせた。あの瞬間、私は月のように満ちた気持ちになった。

でも、そのおかげで、三郎の故郷にゴミ処理場ができることを伝えることができなかった。それだけが心残りだった。

「妃芽! 美紅! 大変だ!」

残りのカレーを運ぼうとしたところで、慌てたお父さんの声が聞こえた。

 

 

 

「マイロックタウン ~天狗と私の千年の恋」

文:加部鈴子 絵:祐

■令和4年6月3日掲載スタート! 毎週 火・金曜日更新!!

 

Facebookでシェアする twitterで呟く